『考える』と『悩む』の違い 〜『悩む』ことは非生産的でダメなことなのか〜
最近、考えると悩むの違いについて触れる機会がありました。
かいつまんでいうと、 『悩む』というのは生産的ではなく、『考える』ことが生産的である、と。 だから、悩むのではなく考えよう、ということでした。
その時は、 ちょっと違和感を覚えつつもそうなのかと思ったのですが、やっぱり引っかかっていたので、ちょっとググってみました。
いくつかのブログなどを見ましたが、上記と同じようなことが書かれていて、私的には腹落ちしませんでした。
いくつかのブログ等での内容を簡単に要約すると、
- 『考える』とは、ゴールに向かってどう進むか頭を使うこと
- 『悩む』とは、ゴールが分からずさまよっていること
というものでした。
だから、ゴールに向かって考えましょう、ということ。ゴールも決めずにさまよって悩んでいる時間はもったいない、とのこと。
やっぱり腹落ちしませんでした。
なぜ腹落ちしなかったかというと、 これまでの仕事や人生で何度も悩んできましたし、それが非生産的で意味のなかったこととは思えないからです。
この二つの言葉の辞書的な意味を調べてみました。
『考える』
1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
2 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。
3 工夫する。工夫してつくり出す。
『悩む』
1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。
2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。
これを見て、悩むことが非生産的と言えるのでしょうか。
ここでひとつ思い出しました。
私が書いた『2軸思考』の本の中で、
『判断』と『決断』は違う、ということを書きました。
まさにこれと同じなのではないか、ということです。
判断とは、 右がいいのか、左がいいのか、と考えること。
決断とは、 右に進むか、左に進むか、を決めること。
右に進むのが正しいのか、左に進むのが正しいのか、それがわからないから、判断には覚悟が必要である、ということです。
『考える』と『悩む』も同じなのではないかと思いました。
何を考えるべきかわからないときも悩みますし、 考えた結果、最後に道を選ぶ時には悩むと思います。 なぜなら、その選ぶ道が正しいのか、ゴールにつながっているのかわからないからです。
私は、『考える』も『悩む』もどちらも大切だと思います。
その時の立ち位置と未来の見通しによって変わるものだと思います。
関連書籍
悩みやら考えることやらの本ってあるのかなぁ、と探して見たところ、このような本がまさにこの4月に発売されるようです。
本の紹介文を抜粋しました。ちょっと読んでみようと思います。
「悩むことは、有益なことなんだ」
今、多くの人が、学校や会社などで、様々な悩みを抱えながら、生活していると思います。
そんな、日々悩んでいる人々に、ぜひこの本を読んで、岡崎選手が、どのように悩み、考え、そして、答えを出してきたかを知ってほしい。
現在、世界中のサッカー選手が憧れる夢の舞台、プレミアリーグで活躍する岡崎選手でも、こんなに悩んできたのです。 悩んで、考えて、成長してきた岡崎選手の言葉には、私たちが今、悩んでいることへの解決のヒントがいっぱい詰まっています。