尊敬する人、目標とする人はいますか? 〜私はいないべきだと思う
中学、高校のときのうっすらと記憶があるのが、 何かというタイミングでアンケートみたいなのがあり、
- 座右の銘は何ですか?
- 尊敬する人は誰ですか?
というのがありました。
これは社会人になっても何度かありました。
その当時から、そして今だに違和感があります。どちらの質問に対してもです。
まず、座右の銘ですが、人生において『たったひとつ』の言葉に支えられたり左右されたりということはないと思います。
もちろん、局面局面では支えになる言葉だったりするものはありますが、座右の銘をひとつ、と言われるとそれほどあるものではないと思っています。
現実、「座右の銘は?」と問われたときに、考え込む人がほとんどだと思います。
その時点で座右の銘ではないと思います。
そして、『目標とする人』『尊敬する人』です。
まず、私には尊敬する人はいません。
この人、すごいなと思う人はいます。もちろん。
でも、すべてを鑑みてこの人すごいな、と思う人はいません。
誰しも一長一短あるものです。
では、何を自分が目指すのか、というと、
- いい人のいい面
- いい人、悪い人の悪い面からの反面教師
です。
野球だとイチロー、サッカーだとカズが、いまやレジェンド的なステータスになってます。
素直に凄いと思います。いろいろな意味で。
でも、目標の人でも、尊敬する人でもありません。私の中では。 野球でも、サッカーでも、他のスポーツでも、他の選手からも多く学びがあります。
「目標としている人は誰ですか?」
「尊敬する人は誰ですか?」
と言われたとき、
私は、
「いません」
と答えています。